香川県小豆島のクライアント様より、本日小包が届きました。
一昨年に施術のご縁をいただいて以来、折に触れ、いつもこうして色々なお心づくしのお品をいただいております。
自分と同じ屋号の「うどん屋 一福」(笑)のだし醤油・絵葉書・団扇などを頂いた中に。
日本刀を手入れする際に使う<金具(目釘抜き)>と<油>が同梱されていました。
居合と剣道に励まれた、このクライアント様の御祖父様が愛用されていた遺品でした。
歴史学者であられたこの方が当時の雑誌に寄稿されたものと思われる、日本刀の歴史を紹介した文章を拝見しました。
非常な長文の終わりに、この方はこう締めくくられています。
“日本刀は外国のそれと違い、岩をも真っ二つにする絶大なる力を持つと同時に、
造るものが生命そのものを込めた、大変神聖なものである。これが日本刀の日本刀たる誇りである。
この神聖にて世界唯一の誇りである尊い刀を、いにしえの武士道と共に、長く日本人の魂としたい”
その御祖父様は1939(昭和14)年、陸軍に入隊され中国大陸を転戦、
最後は「太平洋戦史上最も悲惨な作戦」と言われるインパール作戦にて、インド・ビルマ国境で戦死されたそうです。
その御祖父様が、陸軍入隊を前にして書かれたお言葉が同封されていました。
“私は戦死することがあっても、真のインテリゲンチャ(生涯を最高の一点に到達すべく努力する者)として、
最善の幸福感と充実感の一点に到達する誇りある死を遂げたい。
最期の一瞬に虚しさを覚え、あわてふためく心を持ったら、
その人の一生はどんなに外から見て幸せに満ちていても、不幸であったと言わざるを得ない。
人の幸・不幸は最期の一瞬で決まるより他になく、結局は(その最期にあたっての)その人の想いによるものであり、
それは自ら養わなければ生まれるものではない”
歴史学者であられたほどの聡明な方が死を覚悟したとき、心中で色々と葛藤されたことでしょう。
その末に絞り出されるように出てきたであろうお言葉が、一言一言こちらに伝わってきました。
そして最後はこの一文で結ばれていました。
“心の中に最高の一点を置いて、それに到達する最善の努力を尽くして生きよ。それが生涯の幸福を決定する”
75年の時を越えて、その言葉が自分の心に刻まれました。
御祖父様の形見とも言える遺品ですが、この油は使わせていただくにはあまりに勿体無いので、このまま大事に保管させていただきます。
金具は居合刀用でなく真剣用に使うものですので、今は使えません。でも近い将来、自分に真剣を持つ時が必ず来ます。
その時に一生大事に使わせていただこうと思っています。
もしこの世に魂があるのなら。
御祖父様の魂は、いつも自分を見守って下さっていることと思います。
<いのちのバトン>、確かに受け取りました。
そしてまた自分の志を継ぐ者に、この二つを託そうと思います。